文京混声合唱団
 
 ライブラリー
演奏にあたり参考にしたあれこれ

     
  2011.6.29 
第47回定期演奏会

 
     


混声合唱のための童謡メドレーいつの日か

源田俊一郎 編曲
 

編曲の源田俊一郎氏は国立音楽大学教育音楽学科卒業<岡本敏明賞>を受賞された人気のアレンジャーとして数多くの編曲がある。
「ふるさとの四季」や「ホームソングメドレー」など文京混声でも以前歌いました。
この「いつの日か」は2002年に発表され、小さい頃の思い出がいっぱいの童謡によって構成されています。歌いやすく、楽しい内容ながら、独特のハーモニーが織りなされています。
 源田氏は「この曲を書いているときアメリカでは同時多発テロにより多くの人命が奪われました。(中略)せめてこの不安な気持ちから逃れたい、癒されたいと言う思いが小さな祈りとなって、音のひとつひとつにきざまれたかも知れません。」と書いているようにちょうど今年日本を襲った災害に接し、今必要とされている癒しと日本人の心のふるさとを感じずにはいられません。
 童謡の歌詞はなんでもないような子供の日常を歌っているようですが、改めて歌ってみますと、郷愁に満ちた景色や、その時代の暮らしぶり、歴史などが豊富に表現されていることに改めて日本の深い心を見ることができます。大切に歌いつないでいきたいと思います。

 □ しゃぼん玉 野口雨情 中山晋平
無邪気な子供の遊びの情景の中に、野口雨情が幼くしてなくした我が娘への父親としてのおさえきれない情念、消えていく生命へのいとおしさ、鎮魂歌ともいえる思いが込められています。
風、風、吹くな。しゃぼん玉、とばそ。

 □ 揺籃のうた 北原白秋 草川 信
草川信(1893〜1948)は長野県松代の出身で、「赤い鳥運動」に参加し、この曲集の「汽車ポッポ」(富原薫作詞)、「夕焼けこやけ」(中村雨紅作詞)などの作品を残した。

 □ 叱られて 清水かつら 弘田龍太郎
 清水かつらは明治31年(1898)下町深川生まれ。7歳から25歳まで本郷に居住。関東大震災で家を失い、幼くして実の母と生き別れた境遇が情感あふれる詩風となって表われたのかもしれません。おつかい、子守りなど当たり前だった子供の役割が、責任感や恐怖体験などに、微妙に織り込まれ、ほろ苦い思い出として感じられます。
コゼットが泣きながら重い水桶を持って真っ暗な道を、何度も何度もを歩いた絵が重なってイメージされます。

 □ 七つの子 野口雨情 本居長世
誰でも知っている曲ですが、「7つの子」について、七羽の子ガラスであるという説や、七歳になるカラスという説などあり、大人になって考えるといろいろ難しいのですが、子供のころの思い出をたっぷり含んでいる今のまま、歌っていきたいと思います。

 □ 夕焼小焼 中村雨紅 草川 信
童謡「夕焼け小焼け(夕焼小焼)」は、教職にあった詩人・童謡作家の中村雨紅(なかむら うこう)の代表作。「夕焼小焼」は1919年に作詞され、草川信による曲がつけられた。
おなじく「夕焼け小焼けの」で始まる「赤とんぼ」とこの曲から日本の民話の代表のように情景が浮かびます。

 □ 月の沙漠 加藤まさを 佐々木すぐる
 この曲は千葉県の御宿海岸をモチーフとしており、水分を含んだ海岸の砂のニュアンスを表現するもののため、「砂漠」ではなく「沙漠」となっているようです。御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられている。とても日本の情景とは思えないエキゾチックな夢を抱かせています。

 □証城寺の狸囃子 野口雨情 中山晋平
 今回は省略いたします。

 □ 汽車ぽっぽ 本居長世
丹那トンネルができる前、蒸気機関車牽引の列車が最後部に補機(補助機関車)をつけて、御殿場ルートの急勾配を駆け上がっていく様子をうたったものと言われている。
お山の中行く 汽車ぽっぽ 〜きかんしゃときかんしゃが まえ引き あと押し なんだ坂 こんな坂〜と続く。

 □ 汽車ポッポ 宮原 薫 草川 信
この歌は日中戦争頃、出征兵士を送る曲「兵隊さんの汽車」として作られた。
汽車汽車ポッポッポッポシュッポシュッポシュッポッポ〜

 □ 汽車 乙骨三郎 大和田愛羅
常磐線広野駅にはこの曲の歌碑が設置されている。もともと乙骨氏が福島に行ったかどうかは定かでなく、この場所を歌ったものではないようですが、今回の被災を想うと複雑です。
今は山中 今は浜〜 遠くに見える村の屋根、近くに見える町の軒〜
この3曲の組み合わせが面白い編曲ですが、、楽しいメドレーとなっています。

 □ みかんの花咲く丘 加藤省吾 海沼 実
人気絶頂の童謡歌手で、当団ピアニスト(井上美都)が師事した川田正子先生の歌唱で放送された歌は、日本全国に大反響を呼び、『みかんの花咲く丘』は日本を代表する童謡作品となって、現在にいたるまで広く歌い継がれている。

 □ どんぐりころころ 青木存義 梁田 貞
宮城県松島町の大地主の子供であった作詞者が朝寝坊なため、母親が庭の池にどじょうを放ち早起きになるようにしたらしい。その自宅の庭の情景をうたった歌。


 □ 里の秋 斎藤信夫 海沼 実
南方で戦う父の安否を気遣い、無事な帰国を母とともに願う子どもたちの心情や、家族の思いを歌った歌。
斉藤信夫氏は、千葉県で小学校教員のかたわら童謡の普及に尽力した。
海沼實氏は音楽大学在学中の昭和8年に音羽ゆりかご会を創設し、川田正子先生をはじめとする数多くの童謡歌手を育てた。海沼氏は同じ長野県の作曲家・草川信に師事。


 □ あの町この町 野口雨情 中山晋平
 野口雨情は明治生まれ、昭和20年に栃木県宇都宮市で亡くなりましたが、昼と夜の変わり目の何とも言えない怖さ、寂しさがありますね。当時の街の様子がそうだったんでしょうか?
 おうちがだんだん遠くなる。遠くなる。今来たこの道かえりゃんせ。

 □ 赤とんぼ 三木露風 山田耕筰
『からたちの花』『この道』などで有名な山田 耕筰が日本人の郷愁を誘う三木露風の味わい深い詩に美しいメロディーを作曲した日本の伝統的唱歌。夕暮れの田舎の景色の中に佇んでいるかのような抒情感溢れる日本の代表的な童謡です。
 
     
TOP
検索からいらした方はこちらからおはいりください。 
  c 文京混声合唱団  All rights reserved. 許可なく転載はお断りします。  
inserted by FC2 system