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レクイエム ”オペラの「魔笛」「フィガロの結婚”」そして「レクイエム」と「交響曲40番」を聴けばモーツァルトの天才のすべてがわかる……。”とは故五味康祐の弁です。昨今、映画「アマデウス」の上映や、CMにモーツァルトが引っ張り出されておりますが、彼は未完の作品も含めて約780曲を作りました。 この曲はヴァルゼック伯爵なる○金家が、亡き妻に捧げる「自作」のレクイエムをこっそりとどこからか調達する必要にせまられ、、注文主の名も明かさずに、少なからぬ前金を置いてモーツァルトに依頼したものです。 最後の五ヶ月間、死の予感をもちながら、精魂込めて書かれ、病床についたまま、恢復の見込みなく、第7曲「ラクリモサ(涙の日)」の第8小節で彼の筆は途絶えました。それ以外の曲は少々のスケッチはあったにせよ、弟子のジュスマイヤーによって、この曲は完成されました。しかし近年、声楽の部分を一部訂正、また、楽器の部分に関しては和声進行、音形進行といったものをモーツァルトに即して修正されたのが、本日演奏する「バイヤー版」でジュースマイヤーのそれよりは響きが美しいとされております。”永遠の休息(レクイエム・エテルナ)”なきレクイエムといわれているこの曲に関しては、昨年、リチャード・モンダー博士によりジュースマイヤーが補足した部分をほとんどカットし、”ラクリモサ”の後半にモーツァルトのスケッチ通りにアーメンコーラスを加えた、大胆な「モンダー版」を発表しておりますが、我が国では、まだ演奏されておりません。今回の演奏会にあたり、スコアの入手も考えましたが……。本日の演奏ではラテン語の発音は、ドイツ読みにしております。 1891年12月5日、モーツアルト35才で天に召され、その葬儀は借金のため、まことに淋しいものであったといわれています。しかし同14日に行われたプラハ国立歌劇場楽団による追悼ミサには4000人が教会にかけつけたそうです。 少し過去になりますが、故ケネディ大統領のミサではモーツァルトのレクイエムが演奏され、レコード化されております。宗教合唱音楽のミサ曲のうち「死者のためのミサ」を特にレクイエム(ラテン語)ー鎮魂ミサ曲ーといい、レクイエムエテルナ……(神よ、永遠のいこいを彼に与え給え)で曲は始まります。多くの作曲者が書いておりますが、三大レクイエムはフォーレ、モーツァルト、そしてヴェルディの曲を指し、”文混”ではこの三曲をすでに演奏しております。 |